・旧ブログ


渡部正明は地道に区政に取り組み仕事をしいます。

政治には発想力が一番求められます。

そう、閃きです。

それと日々の生活を通して自身や周囲の人々から感じた事、体験した事から新たな考えが湧き具体化へどう行動するかを模索する事です。


行政とは住民が平穏に生活できるように努める皆の仕組みです。

互いに社会的な責務を果たす為の役割で相応の負担と責任を分かち合う住民としての義務が伴います。

生活者は世代も違い経済的にも身体的にも強者、弱者と様々です。

これらの違いを乗り越えて皆で住む町を目指し生活をして行くのだと思います。

永年、積み上げてきた行政と議会はいきなり大きく変わるものではありません。

過去を学び今を生き、未来を創造・想像する事で少しずつ歩を進めて参ります。


メトロ7を再検討・新交通システム実現へ!

新金線・越中島線の客人化・下町の交通幹線を造ろう。

区役所新庁舎建設・移転への課題と対策


「渡部正明」の行ってきた提案と実現と将来。

@ 保育園PTA時代に若い世代の子育て支援を願い保育園の保護者会連合会を立ち上げ、中里喜一区長(当時)に保育助成の改善を提案し実現して頂いた。

A ゼネコン(建設業)社員時代に高速道路・中央環状線計画が荒川・中川放水路の東側・左岸(臨海町・西葛西・船堀・東小松川・西小松川町・松島)に沿って約40〜50mの巾で施行される聞き、高速道路建設後の隣接住宅地への環境悪化を考え左岸から中堤にコース変更を起案しました。

当時の区議会議員であり地元町会の会長を務めていた父に提案し、沿川の区議会議員の署名を集め、当時の田島衞都議会議員に依頼し、美濃部都知事に路線変更を陳情、建設省などの反対もありましたが中堤防へ計画路線の変更が決める事が出来ました。

B 中堤の高速道路建設に伴う中川左岸沿いの電波障害に東京ケーブルビジョンの立ち上げによるTVアンテナから有線での配信化の促進に父と共に手伝う。(後に江戸川ケーブルVに移行)

C PTA活動を通して地域の青少年育成活動に参加しつつ荒れた中学校の健全化に当時のPTA仲間と立ち向かい約4年をかけて平静化に努めた。

D ゼネコン社員時代に葛西地区など区内の土地区画整理事業・都市計画道路工事(環七他)、旧中川の護岸工事、下水道工事、公共施設建築等の現場や事務・営業受注に関わり江戸川区や建設省、東京電力など区内外の街造りを経験して来ました。

E 地区小館(町会会館)の建設に松島西会館、東会館の起案や予算付けに努力し実現しました。

F 地元の中学校の夜間照明も災害時に有効と予算付けをし、実現させました。
隣接の学校に設置する際の手順等を他地域に伝え実現しました。(3.11以来、新設校はもとより地元 の了解を得て設置が徐々に進められています)

G 昔からの農業用水路や農道、他、国管理の公共用地が永年の時間経過から民地の中に取り残され、相続や土地利用の開発の妨げになって来ました。
これらの土地が区に移管された後も誰も触らず所有権の裁判などで垣間見るだけでしたので払い下げを促進し、有効活用が出来る様に払い下げ価格の見直し等を提案し平成26年1月から区の条例を新たに設け有効な街造りに活かされました。

H 15年ほど前から、将来の少子化と学校数の見直し小松川地区中学校の移転や全区的な統合、学校の再配置の必要性を提案して来ました。
次世代の児童、生徒に良い環境の学校を残すかが大切である事を各地の学校・PTAのOBに話して来ました。
区内には全校で200人を割る生徒数の学校が数校、現れる時代になっています。
学校の整理統合を感情やノスタルジアで判断する時代ではありません。
I 今後の公共施設の在り方も庁舎を始め再検討を本格的に行います。
本庁舎の更新についてもこの数十年必要性を訴えて来ましたが歯牙にもかけられず笑われていましたが今になってあたふたと、検討と企画が成されています。
PFI方式(民間活力導入)で安上がりに工費を上げようとする方策がメディアでも持て囃されていますが民間の人々の個人集合持ち分と公共自治体の持ち分が一体となった建物は将来的な維持管理、継承に大きな問題が予測されます。
用地はともかく建物その物の合築は避けなければなりません。
時の執行権者は安い、合理的と、数値の比較をしますが豊島区役所の様に個人所有権(国籍も色々)の集合体と役所が一体と云う事は先の時代を見越し課題を真剣に検討せず、目先の予算数値と時代に流されては禍根を残す事になると危惧しています。